自転車もボートも漕ぐデス

桜島の最高点(湯之平展望所)1000回(参る)目指しています

ツールドおきなわ2023オープン140 完走への道 1

準備編
2022年のツールドおきなわでは、10年参加して初めてDNFという屈辱を味わった。
最終関門の安部を2分オーバーして越えられなかった。その後しばらく失意の日々を過ごしたが、1月もたつと次の機会には必ず完走すべく始動した。
まずは、完走できんかった原因の分析から始め、拾い上げて克服することを考えた。
○原因分析
1点目、急激に体重を減らしたことによるパワーの低下。10月のはじめ78kgあった体重がおきなわ直前には72㎏にまで減っていた。極端にご飯の量を減らし、ぜい肉ばかり
ではなく筋肉量も減らしてしまったこと。

2点目、今考えるとこれが一番かもしれないがコロナワクチンの接種による体調不良
 何故か身体に力が入らない状態が長く続き意味不明の不調に陥っていたこと。それが原因で体重調整にはしったという面もある。

3点目、殆ど一人で走っていたこと。
 人と走らないことで頑張るということを忘れてしまっていた。2019までは日曜日のチャリンコ練に積極的に参加し、もがいたり中切れを埋めたりとそれなりに高い強度で練習を積めていたが、2019年の10月を最後に練習会がなくなってしまったので、人と走る機会がすっかりなくなってしまった。
課題の解決に向けての取り組み
1体重の管理について
80㎏を超えないように日常的に意識し、爆食を続けないようにした。また、坂を上ることでカロリー消費も多くし、重くなると上れなくなるということを体感できるようにした。日常的に上る坂のタイムを記録するようにした。6月からはヒルクライムレースにエントリーし、それに向けたトレーニングとダイエットを行うことで、体重の急増を防ぐことができた。ちなみに、6月の美ヶ原、9月の椿鼻の両方のレースとも昨年よりタイムは向上した。
2練習会への参加
 ぼっち走ではなかなか強度があげられないので、8月から知った人もいる地元チームのセカンドウィンドの練習に可能な限り参加させてもらうことにし、9月からチームにも加入した。練習会の時間全てが高強度練習ではないが、あげることころでは上がり、昨年よりは高い強度で走ることができた。また、距離もそれなりに伸びるので長距離耐性も上がったように感じた。

 課題への具体的な対応ももちろん大事だが最も重要なのは、毎日のトレーニングと日々の過ごし方だと思う。
 ヒルクライムの大会に向けては、とにかく坂を繰り返し上ることで、坂への耐性を身に付けた。日常的には桜島の湯之平展望台への2本の登山路を桜島に出勤する日で尚且つ自転車で行ける日(まあほとんどの日)は必ず上ることにした。
展望台へのクライムは桜島勤務になった4年前から続けており、4年間で400本ほど上った。標高372mで小池側からだと約4キロ、赤水側からだと5キロの距離になる。当然小池側は斜度がきつく、平均でも8%以上だが、入りが割と緩いので10%以上の区間が全体の半分以上ある厳しいコースだ。一方赤水側は、10%越えは500mほどと短く、途中に2~3%の緩斜面があったりと、休みどころのあるコースだ。
この2本の坂をその日の気分に合わせてどちらかをチョイスして上った。
ちなみに、赤水側のルートは、2020年にエベレスティングを達成したコースで、1日で28回往復したこともある。
4月に55本、5月に39本、6月25本、7月と8月にはそれぞれ30本上りヒルクライムレース対策を行った。9月からは桜島の周回とクライムを併せておこなうようにしたので9月15本、10月も同じくらいの本数上った。10月20日現在で612本まで数を伸ばした。
去年と上りのタイムの比較をしてみると平均で2分程度向上している。日記を読み返してみても不調という言葉が多く出ており、体に力が入らない状態がかなり長く続いていたようである。確かなことは言えないがワクチン接種のあとに不調に陥っているので原因はそこにあったんだと考えている。
 9月以降は沖縄のアップダウンによく似たプロフィールの周回のあと、ダムの上りを想定したのぼりを走ってきた。また家からフェリーまでも行き帰りとも上りがあるので、通勤とはいえ負荷のかかったトレーニングになった。
家人が休日の土日に出勤の場合は、洗濯物を干す役目が免除されるので5時少し前に家を出ることができる。そのため土日の出勤時にはフェリーを使わず陸路で職場へ行くことにした。ウィークデーは65キロだが、陸路で通勤する日は90キロ程度まで距離を延ばすことができた。
全体の走行距離も。4月1000、5月、6月、7月が1250、8月1600,9月2000、10月も2000オーバーと順調に伸ばしてきた。
また毎日の周回でも、強度を上げる日と踏まない日を設定し、メリハリをつけた。
日々走る中で常に沖縄を意識し、できるだけ緩むことがないように注意した。
昨年は距離にこだわりすぎ、累積距離を増やすことで満足していたが、今年は週に1回のポイント練習の日を設定し、疲労していても強く踏むことを意識して走った。5キロごとのラップが12分を超えないように上りではパワーを出し、下りでもできるだけ脚を止めないで回すことを意識した。
 去年は体重を落とすことに気を使いすぎて、食べないことで常に空腹感にさいなまれたそのため、パワーも失っていたように感じる。今回も10月中旬以降夜のお米をやめて、おかずとサラダ中心の食事にした。パンやお菓子は昼までに食べるようにしたが、時々コンビニでアイスとか買い食いもしたがそこまで神経質にならないようにした。
 今年は天気に恵まれて、9月10月は雨で走れない日がほとんどなかったし、多少の雨なら走ることにした。

 60歳を超えた人間には本当の意味でのレースはできないので、制限時間との戦いが僕にとってのレースとなる。そのために昨年の失敗を振り返り、今年は是非とも完走しなければならない。
 関門時間は固定なので、スタート時間の早い遅いが即完走に響いてくる。完走した年は、最終関門の川上にオンタイムだったこともあるがそれ以外は5分以上の余裕があった。
去年は安部関門が従来より10分短くなっていたが、ぎりぎり完走できた2018年でもその時間はクリアできていた、しかも去年よりスタートが8分も遅いのに。
だめだった時の記録はあんまり見たくないのだが、完走するための対策を考える上では分析は必要なので、走行ログやリザルトからデータを拾い出し検討した。
まず、驚いたことに最初のダム関門までの所要時間は完走したときとほとんど差がなかった。つまりそれ以降で遅れたということだ、2回目のダム関門で10分、ここは上りを28分もかかっている。ダムの上りの2回目は速い時で23分、遅くても25分ほどでは上っているのでここでかなりタイムを失っている。ここの3分~5分がなければ去年も完走できていたことになる。(関門に2分2秒遅れた)
したがって今回は、クライムリピートでタイムを落とさないように意識して上った。
湯の平を2回上る時のタイム落ちを3分以内にとどめることを目標にトレーニングした。
 沖縄は、上り下りの繰り返しなので上りの後脚を休めるとそこでロスが生じるので下りはじめに踏むことも意識した。
 昨年の失敗の一つに補給もあった。自転車を降ろされた後脚が酷く痙攣したが、その時点(118km)で水も食糧も結構残っており、補給が計算通りにできていなかった。それもそのはず、事前に補給の練習をしておらず、注意を払っていなかったので、うまくいくわけがない、今回は100km以上のライドのときに一定時間毎に補給をする練習も何度か行った。それでも、途中で忘れて空腹やのどの渇きを覚えたりすることもあり、その結果補給食や水分を余らせることがあった。
補給食もいろいろ試したが、後半空腹を感じることもあり、予備で持って行ったようかんを余計に食べたりした。前回と比べ補給食もパラチノースを導入したりカフェインジェルを購入したりと、トレーニング以外のことにも意識を向けた。
去年はそれまでずっと完走できていたので油断があった。レース前に足切りにあうなんて微塵も思わなかった、それまでは毎回非常に不安な気持ちだったがそれもなかった。一度切られると現実として受け止めるので今回は以前にもまして不安な気持ちでスタートに向かう。
ただ、所詮レースといえども趣味の世界だし、仕事ではないし、切られたからと言って命に係わるわけではないしむしろ安全に無事にかえることの方が優先される。無事に帰れば来年ということも言えるし、ケガをしては何にもならない。
 10月29日にはレース前の恒例の高強度練習会という名のほぼレースな南九州クラシックに参加した。
 去年はクラス5位に沈み、悔しい思いをした。やはり去年は走れていなかったんだと思う。過去2度1位になっており、今回も当然1位を狙っていた。相手としては、同じセカンドの片平さんが昨年も3位で僕より上位で走っていたし、チームの練習会でもなかなか強いのでかなり手ごわいことは予想できた。
 実際最初にある3キロほどの急斜面でじわじわ離され、下りでさらに引き離されるという展開になり、途中10キロ地点で常に見えるところまで詰めたが、そのあとの不整地のくだりをうまく切り抜けられず絶望的な差がついた。
 そのあとは、2位を死守すべく弛めないように踏み続けた。前も後ろも見えない一人TT状態で残りの50㌔を走り結局クラス2位でゴール。1位とは5分程度の差があったようだ。昨年のタイムよりは短縮できたものの悔しさと、課題の残る走りとなった。
急登は5倍近いパワーを出しても、先頭集団からはなれていくという厳しいものだった。
おそらく10分くらい5倍を出せなければついていけない感じであった。
パワーを上げることはこれから先難しいので、やはり自分の身体の軽量化しかないのかともおもった。仮に70㌔になれば280Wで4倍になるので相当楽になるような気がする。それよりもっと減らすことができてパワーを維持できれば今より楽に上れることは間違いない。次のシーズンに向けてはやはりこの体重問題を解決することでヒルクライムもロードレースもさらなる上位の成績が望めると思う。
仮に65㌔くらいだとかなりのヒルクライムレースで表彰台に上れるのではないだろうか。
まあそこまで、身を削れるか自信はないし食欲に勝てそうな気はしないけど。
体重の問題はいつも付きまとうが、寸前になってあわてて減量というパターンの繰り返しだ。1年を通じてあんまり増えないようにしておけばいいんだけど、それがなかなか難しい、根っからの食いしん坊なので、美味しそうな食べ物を見たら我慢ができないのだ。
レースの時だって終わったら何喰おうとかばかり考えている。
長野に行けば牛乳パンを買いあさり、沖縄ではありとあらゆるお菓子にてを出し、激しく増減を繰り返す。1年を通じて75㌔前後であれば60キロ台に乗せることもできるかもしれないがどうしても80㌔を超える時期がほとんどになってしまう。
体重のことはいまさらなのでさておき、今年は以下のように完走計画を立てた。

昨年と同じ関門時間と想定した場合、切られた安部関門に2分少々足りなかったので5分程度短縮すれば完走できるのではないかと考えた。
しかし、安部の先にさらに番越関門ができたのでそこまでの距離と残り時間の確保も必要になった。
安部から番越まで10.7キロ、ぎりぎり安部を通過したら坂を含めた10.7を25分で走る必要があり結構厳しい、30分あれば大丈夫だと思うので、安部を関門5分前には通過しなけらばならない。
区間の2022の記録を見ると、ふんがーの2回目が28分なのでそこをある程度削る、学校坂も1分程度削るとかすれば、5分程度はひねり出せる。とにかく最初の奥までと次のダム関門までに前回比で5分、完走できた時より最も遅れた次の学校坂から宮城までで5分短縮できれば全体で昨年比7分縮めることができる。各5キロごとで言えば1分とかではなく、10秒とか15秒とかの短縮なので、そこを意識するようにする。
 東洋大学の駅伝ではないが、その1秒を削る努力をしないと完走できないと思う。
今年はとにかく最終関門をクリアし名護のゴールにたどり着きたい。