自転車もボートも漕ぐデス

桜島の最高点(湯之平展望所)1000回(参る)目指しています

ツールドおきなわ2023 完走記録その2

沖縄遠征
今回も金曜日に沖縄入りした、ただ去年と違うのはうるま市の拠点としている宿に金曜日から入ったことだ。飛行機のダイヤが変わっていて19時過ぎに沖縄に着くことができ、その日のうちにレンタカーを借りることができた。金曜日に拠点に着ければ土曜日のスケジュールに随分と余裕が生まれる。午前中に受付を済ませ、試走して買い物、食事と去年より相当楽な感じであった。ただ雨がずっと降り続き、やむ気配はなかった。予報でもレース時間帯は雨となっていた。当初デュラ9100pのクランクが割れていなければ11速リムのドマーネでの参戦も考えていたが、結果的に雨だったのでエモンダディスクでよかった。
試走は去年雨を嫌がって新コース部分のみを走って完走できなかったので、今回はこれまで完走できた時と同じように普久川ダムの上りと学校坂のはじめの急登を1時間弱かけて走った。思ったより脚がよく回り、学校坂は自己ベストだった。
 試走を終えて宿近くのサンエーで夜ご飯と当日の食糧を買いこむ。昨年は前日に外食し、炭水化物以外に繊維質やほかにいろいろ食べてしまったので、今回は前日と当日食べてはいけない物リストを作り、生ものや繊維質の多い野菜、揚げ物などを避け、糖質と消化に良い乳製品などを買い込んだ。
土曜の夜は白米と玄米ご飯、パン、ヨーグルト、かぼちゃの煮物などをたらふく食べた。
当日の朝用には、おにぎり二個、餅菓子、玄米ドリンク、カステラ、牛乳を用意し、このうち餅菓子はスタート前用にリュックにいれて、それ以外は宿を出る前に食べた。
補給は、モルテン2つ、メダリストコーヒー味、メダリストの金色、マグオンアップル、梅、それらをソフトフラスクとジェルボトル2本に入れ、そのほかにようかんとエネ餅を持った。ボトルにはトップスピードとCCDパウダー、パラチノースとBCCAを入れた750mlボトル2本を用意し、スタート前用にバームウォーターを1本持って行った。
その他にリュクに入れたものとしては。
サンダル、カッパ、替えのソックス、半袖インナー、スペアチューブ、空気入れ、シューズ乾燥用新聞紙、濡れ物袋など。
 レース当日の朝は4時に起き、浴槽にお湯を貯める。その間用意した食べ物を口に入れる。
その際、ビタミン剤、オキシドライブとアップ、整腸剤も入れる。
食べ終わり、直ぐにトイレに行き軽量化、いつもはなかなかうまくいかないが、今回はスムーズにできた。そのあと浴槽につかり身体を温める。15分ほど入るとじわっと汗が出てきたので上がり、準備を始める。
 ジャージを着て、ソックスを履き車にヘルメット、サングラス、シューズを入れる。その時スルーアクスル用のアーレーンキーがあることを確認。シューズはきつめのRS9を選択した。前輪を外した自転車を車に積み込み、ボトル2本も入れ忘れ物がないか確認し、出発その時点で6時前。石川インターから高速にのり許田でおりてバイパスを抜けて仲尾次の交差点に。そこから58号を北上し、国頭方面に向かうが、雨が激しくなり気持ちがとてもネガティブになる。あんまり激しくなったらやめようかななどと考えたりもする。
しばらく走り大宜見の道の駅に到着、そこから国頭までアップを兼ねて走り出すことにしたいたが、雨が小降りになるのをまちつつトイレなどにも行く。車の中でしばし待機した後意を決し、スタートに向かう。
向かいながら、ギアを1段ずつ切替え、問題ないことを確認する。その後は向かい風の中あんまり踏まないように回転で心拍をあげていく。汗はあんまりかきたくないが肌寒いので温まる程度には負荷もかける。10キロちょいを30分ほどかけてスタート地点のゆいゆい国頭に到着。既にたくさんの選手が待機していたが自転車はまだならんでいなかった。
建物のはずれのひさしの下に自転車と荷物を置き、持ってきたクッションに座り時間を過ごす。靴下はすでに泥だらけだったので脱いで絞って袋にいれた。寒さのためカッパは着たままで持ってきた餅などを食べる。座っているところにマスターズの参加者が横に座りしばしお話を、聞けばスマートコーチングを受けたことがあるとのことで、安藤君の話題などを少し、その方はサッカーをしていたとのこと、今回は宮城を越えたいと言っていた。
9時前後に200の先頭その後メイン集団が前を過ぎていく。牛山氏も集団の最後尾についていた。自転車を並べしばらくすると、整列のアナウンスがある。
集団の後ろのほうから列についていく。直前にすこしだけやんだ雨はまた粒を大きくしてふりだした。並んだ時にはやめようという気持ちはどこかに飛んでいた。周りをきょろきょろと見まわし油断していたら突然スタートの号砲がなり、前が動き出した。
 安定の最後尾スタートでとにかくダムの上り口までは集団から切れないようについていく。寒くてなかなかパワーも出ないので、今日はもしかしたらバッドデイではないかと不安になるが、雨のせいかペーサーも長めに入り遅れることなく与那を右折した。
フンガーへの上りは最初は平坦基調なのでそこそこ速度が上がるが、しばらく行くと斜度が上がり実力相応の速度に落ち着く。2回目のことも考え踏み過ぎないようにだが、去年のペースは上回るように踏んでいく。ピークまで22分弱なので去年より少し速いくらい。
ピークを過ぎ補給所前の関門を通過し、少し上って奥へと左折する。
最初のくだりで地元チームの数名を含む小集団に混ざる。この中にコースに詳しい人がいて集団を統率しようと声をかけている。完走目安の速度も適宜教えてくれて、走っているペースがどうやらぎりぎりらしいことがわかる。脚に余裕があったので前に出たいところだが2回目のダムの上りまでは集団で行きたいので、自重し奥へ向かう。奥の通過は1時間6分と昨年よりは5分早い、奥の上りも前目で上り与那への平坦に備える。
与那までの平坦では200も混じり40kオーバーのペースで進みあっという間に与那に到着する。勝負の2回目の上りだ、ここで集団はばらけ飛び出す形になる。途中でマスターズの追走に抜かれるが少し速度差があったのでペースで上る。
2回目がピークまで23分ほど、去年より5分縮めた。しかし相変わらず下りはゆるゆるとしか走れず、マスターズの集団やら置いてきた集団やらに抜かれまくる。
まあ、トップチューブにも安全第一と書いたし、事故無く帰ることがミッションだと思っているので無理はしない。
しばらく下っていくと、ピークからダムにかけてのくだりで抜いていったマスターズの集団のうち5~6人が落車して止まっていた。某有名チームのジャージの人もいる横を安全に下っていく。

ツールドおきなわ2023オープン140 完走への道 1

準備編
2022年のツールドおきなわでは、10年参加して初めてDNFという屈辱を味わった。
最終関門の安部を2分オーバーして越えられなかった。その後しばらく失意の日々を過ごしたが、1月もたつと次の機会には必ず完走すべく始動した。
まずは、完走できんかった原因の分析から始め、拾い上げて克服することを考えた。
○原因分析
1点目、急激に体重を減らしたことによるパワーの低下。10月のはじめ78kgあった体重がおきなわ直前には72㎏にまで減っていた。極端にご飯の量を減らし、ぜい肉ばかり
ではなく筋肉量も減らしてしまったこと。

2点目、今考えるとこれが一番かもしれないがコロナワクチンの接種による体調不良
 何故か身体に力が入らない状態が長く続き意味不明の不調に陥っていたこと。それが原因で体重調整にはしったという面もある。

3点目、殆ど一人で走っていたこと。
 人と走らないことで頑張るということを忘れてしまっていた。2019までは日曜日のチャリンコ練に積極的に参加し、もがいたり中切れを埋めたりとそれなりに高い強度で練習を積めていたが、2019年の10月を最後に練習会がなくなってしまったので、人と走る機会がすっかりなくなってしまった。
課題の解決に向けての取り組み
1体重の管理について
80㎏を超えないように日常的に意識し、爆食を続けないようにした。また、坂を上ることでカロリー消費も多くし、重くなると上れなくなるということを体感できるようにした。日常的に上る坂のタイムを記録するようにした。6月からはヒルクライムレースにエントリーし、それに向けたトレーニングとダイエットを行うことで、体重の急増を防ぐことができた。ちなみに、6月の美ヶ原、9月の椿鼻の両方のレースとも昨年よりタイムは向上した。
2練習会への参加
 ぼっち走ではなかなか強度があげられないので、8月から知った人もいる地元チームのセカンドウィンドの練習に可能な限り参加させてもらうことにし、9月からチームにも加入した。練習会の時間全てが高強度練習ではないが、あげることころでは上がり、昨年よりは高い強度で走ることができた。また、距離もそれなりに伸びるので長距離耐性も上がったように感じた。

 課題への具体的な対応ももちろん大事だが最も重要なのは、毎日のトレーニングと日々の過ごし方だと思う。
 ヒルクライムの大会に向けては、とにかく坂を繰り返し上ることで、坂への耐性を身に付けた。日常的には桜島の湯之平展望台への2本の登山路を桜島に出勤する日で尚且つ自転車で行ける日(まあほとんどの日)は必ず上ることにした。
展望台へのクライムは桜島勤務になった4年前から続けており、4年間で400本ほど上った。標高372mで小池側からだと約4キロ、赤水側からだと5キロの距離になる。当然小池側は斜度がきつく、平均でも8%以上だが、入りが割と緩いので10%以上の区間が全体の半分以上ある厳しいコースだ。一方赤水側は、10%越えは500mほどと短く、途中に2~3%の緩斜面があったりと、休みどころのあるコースだ。
この2本の坂をその日の気分に合わせてどちらかをチョイスして上った。
ちなみに、赤水側のルートは、2020年にエベレスティングを達成したコースで、1日で28回往復したこともある。
4月に55本、5月に39本、6月25本、7月と8月にはそれぞれ30本上りヒルクライムレース対策を行った。9月からは桜島の周回とクライムを併せておこなうようにしたので9月15本、10月も同じくらいの本数上った。10月20日現在で612本まで数を伸ばした。
去年と上りのタイムの比較をしてみると平均で2分程度向上している。日記を読み返してみても不調という言葉が多く出ており、体に力が入らない状態がかなり長く続いていたようである。確かなことは言えないがワクチン接種のあとに不調に陥っているので原因はそこにあったんだと考えている。
 9月以降は沖縄のアップダウンによく似たプロフィールの周回のあと、ダムの上りを想定したのぼりを走ってきた。また家からフェリーまでも行き帰りとも上りがあるので、通勤とはいえ負荷のかかったトレーニングになった。
家人が休日の土日に出勤の場合は、洗濯物を干す役目が免除されるので5時少し前に家を出ることができる。そのため土日の出勤時にはフェリーを使わず陸路で職場へ行くことにした。ウィークデーは65キロだが、陸路で通勤する日は90キロ程度まで距離を延ばすことができた。
全体の走行距離も。4月1000、5月、6月、7月が1250、8月1600,9月2000、10月も2000オーバーと順調に伸ばしてきた。
また毎日の周回でも、強度を上げる日と踏まない日を設定し、メリハリをつけた。
日々走る中で常に沖縄を意識し、できるだけ緩むことがないように注意した。
昨年は距離にこだわりすぎ、累積距離を増やすことで満足していたが、今年は週に1回のポイント練習の日を設定し、疲労していても強く踏むことを意識して走った。5キロごとのラップが12分を超えないように上りではパワーを出し、下りでもできるだけ脚を止めないで回すことを意識した。
 去年は体重を落とすことに気を使いすぎて、食べないことで常に空腹感にさいなまれたそのため、パワーも失っていたように感じる。今回も10月中旬以降夜のお米をやめて、おかずとサラダ中心の食事にした。パンやお菓子は昼までに食べるようにしたが、時々コンビニでアイスとか買い食いもしたがそこまで神経質にならないようにした。
 今年は天気に恵まれて、9月10月は雨で走れない日がほとんどなかったし、多少の雨なら走ることにした。

 60歳を超えた人間には本当の意味でのレースはできないので、制限時間との戦いが僕にとってのレースとなる。そのために昨年の失敗を振り返り、今年は是非とも完走しなければならない。
 関門時間は固定なので、スタート時間の早い遅いが即完走に響いてくる。完走した年は、最終関門の川上にオンタイムだったこともあるがそれ以外は5分以上の余裕があった。
去年は安部関門が従来より10分短くなっていたが、ぎりぎり完走できた2018年でもその時間はクリアできていた、しかも去年よりスタートが8分も遅いのに。
だめだった時の記録はあんまり見たくないのだが、完走するための対策を考える上では分析は必要なので、走行ログやリザルトからデータを拾い出し検討した。
まず、驚いたことに最初のダム関門までの所要時間は完走したときとほとんど差がなかった。つまりそれ以降で遅れたということだ、2回目のダム関門で10分、ここは上りを28分もかかっている。ダムの上りの2回目は速い時で23分、遅くても25分ほどでは上っているのでここでかなりタイムを失っている。ここの3分~5分がなければ去年も完走できていたことになる。(関門に2分2秒遅れた)
したがって今回は、クライムリピートでタイムを落とさないように意識して上った。
湯の平を2回上る時のタイム落ちを3分以内にとどめることを目標にトレーニングした。
 沖縄は、上り下りの繰り返しなので上りの後脚を休めるとそこでロスが生じるので下りはじめに踏むことも意識した。
 昨年の失敗の一つに補給もあった。自転車を降ろされた後脚が酷く痙攣したが、その時点(118km)で水も食糧も結構残っており、補給が計算通りにできていなかった。それもそのはず、事前に補給の練習をしておらず、注意を払っていなかったので、うまくいくわけがない、今回は100km以上のライドのときに一定時間毎に補給をする練習も何度か行った。それでも、途中で忘れて空腹やのどの渇きを覚えたりすることもあり、その結果補給食や水分を余らせることがあった。
補給食もいろいろ試したが、後半空腹を感じることもあり、予備で持って行ったようかんを余計に食べたりした。前回と比べ補給食もパラチノースを導入したりカフェインジェルを購入したりと、トレーニング以外のことにも意識を向けた。
去年はそれまでずっと完走できていたので油断があった。レース前に足切りにあうなんて微塵も思わなかった、それまでは毎回非常に不安な気持ちだったがそれもなかった。一度切られると現実として受け止めるので今回は以前にもまして不安な気持ちでスタートに向かう。
ただ、所詮レースといえども趣味の世界だし、仕事ではないし、切られたからと言って命に係わるわけではないしむしろ安全に無事にかえることの方が優先される。無事に帰れば来年ということも言えるし、ケガをしては何にもならない。
 10月29日にはレース前の恒例の高強度練習会という名のほぼレースな南九州クラシックに参加した。
 去年はクラス5位に沈み、悔しい思いをした。やはり去年は走れていなかったんだと思う。過去2度1位になっており、今回も当然1位を狙っていた。相手としては、同じセカンドの片平さんが昨年も3位で僕より上位で走っていたし、チームの練習会でもなかなか強いのでかなり手ごわいことは予想できた。
 実際最初にある3キロほどの急斜面でじわじわ離され、下りでさらに引き離されるという展開になり、途中10キロ地点で常に見えるところまで詰めたが、そのあとの不整地のくだりをうまく切り抜けられず絶望的な差がついた。
 そのあとは、2位を死守すべく弛めないように踏み続けた。前も後ろも見えない一人TT状態で残りの50㌔を走り結局クラス2位でゴール。1位とは5分程度の差があったようだ。昨年のタイムよりは短縮できたものの悔しさと、課題の残る走りとなった。
急登は5倍近いパワーを出しても、先頭集団からはなれていくという厳しいものだった。
おそらく10分くらい5倍を出せなければついていけない感じであった。
パワーを上げることはこれから先難しいので、やはり自分の身体の軽量化しかないのかともおもった。仮に70㌔になれば280Wで4倍になるので相当楽になるような気がする。それよりもっと減らすことができてパワーを維持できれば今より楽に上れることは間違いない。次のシーズンに向けてはやはりこの体重問題を解決することでヒルクライムもロードレースもさらなる上位の成績が望めると思う。
仮に65㌔くらいだとかなりのヒルクライムレースで表彰台に上れるのではないだろうか。
まあそこまで、身を削れるか自信はないし食欲に勝てそうな気はしないけど。
体重の問題はいつも付きまとうが、寸前になってあわてて減量というパターンの繰り返しだ。1年を通じてあんまり増えないようにしておけばいいんだけど、それがなかなか難しい、根っからの食いしん坊なので、美味しそうな食べ物を見たら我慢ができないのだ。
レースの時だって終わったら何喰おうとかばかり考えている。
長野に行けば牛乳パンを買いあさり、沖縄ではありとあらゆるお菓子にてを出し、激しく増減を繰り返す。1年を通じて75㌔前後であれば60キロ台に乗せることもできるかもしれないがどうしても80㌔を超える時期がほとんどになってしまう。
体重のことはいまさらなのでさておき、今年は以下のように完走計画を立てた。

昨年と同じ関門時間と想定した場合、切られた安部関門に2分少々足りなかったので5分程度短縮すれば完走できるのではないかと考えた。
しかし、安部の先にさらに番越関門ができたのでそこまでの距離と残り時間の確保も必要になった。
安部から番越まで10.7キロ、ぎりぎり安部を通過したら坂を含めた10.7を25分で走る必要があり結構厳しい、30分あれば大丈夫だと思うので、安部を関門5分前には通過しなけらばならない。
区間の2022の記録を見ると、ふんがーの2回目が28分なのでそこをある程度削る、学校坂も1分程度削るとかすれば、5分程度はひねり出せる。とにかく最初の奥までと次のダム関門までに前回比で5分、完走できた時より最も遅れた次の学校坂から宮城までで5分短縮できれば全体で昨年比7分縮めることができる。各5キロごとで言えば1分とかではなく、10秒とか15秒とかの短縮なので、そこを意識するようにする。
 東洋大学の駅伝ではないが、その1秒を削る努力をしないと完走できないと思う。
今年はとにかく最終関門をクリアし名護のゴールにたどり着きたい。

ローイングエルゴメーター 2日目

30分500mを2分15秒ベースではじめる。トータルで6800を目指す。

最終的には7000を越えるように。

かつて日本チャンピオンを目指していた頃は8000を軽くこえていたのだが、ずいぶんへぼになった。

まぁ30年前のことだからそんなもんかもしれないが気持ちはあの頃とほとんど変わっていない。

その間脚は不自由になり、余計な肉が付き筋肉は落ち。

それでもまだ足掻いてる。

来年こそなどと思っている。

今日もエルゴメーター  をひく

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来年に向けて鍛え直す

全体的な筋力を上げるため、筋トレと体幹を強化するためローイングエルゴメーター  を始めた。

筋トレは自重でランジと腕立て伏せ、あと腹筋。

エルゴメーター  は30分から始めて10,000mまで、脚のバランスをよくすることを意識して冬の間やってみることに。

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とりあえず30分クリアしたが、手のひらにマメが。

つーるどおきなわ140k 初めてのDNF

2022年のツールドおきなわはとても残念な結果に終わりました。
おそらく最初で最後のコースなんだと思いますが、その変更になった羽地の先へ行くことはできませんでした。安部に2分遅れで到着し、初めて赤旗を見ることになりました。
3年ぶりの大会で開催されるかどうかも危ぶまれるなか無事参加できたことはよかったと思います。
退職し、日本縦断ややりたいことができるようになりトレーニング時間もこれまでよりも取れたはずですが結果は・・・・でした。
 振り返ると増えた体重に危機感を覚え2か月で10キロ以上という無理な減量をしたことや新しいエモンダが実はしっくりきていなかったことなどが要因として考えられますが、一番は厳しい練習ができていなかったことでしょう。
距離や獲得標高に満足し、追い込めていなかったことや人と走る機会がほとんどなく自己満足に陥ていたこが最大の原因です。
 完走目的なのでレース中も無理をしないことを心がけ過ぎました。下りとかで自分のスキル以上のことはできませんが、少なくとも上りや平坦はもう少し踏むべきだったといまさらながら思います。
 2本目のフンガーで脚が攣りかけたことでかなり臆病になり、そのあと自重してしまったのがだめでした。
 来年は1つ歳をとり61になりますが、60オーバーで210を完走された方もいらっしゃるのでまだまだやれると思っています。
 年内は少しローイング(エルゴメーター中心だけど)と筋トレ中心に、年末のfestive500あたりから乗り始めようかなと思います。
 それにしても、関門足切りがこんなに悔しいものと初めて知りました。これまで何とか完走できていたのが実は奇跡だったんだと思います。

 

ツールド沖縄2022 までの日々1日目

9月7日 水 晴

沖縄140にエントリーしたので、トレーニングとダイエットを始める。

昼ご飯茹で卵生活と自転車通勤の距離を伸ばす。

朝6時25分のフェリーに乗り、桜島を一周して職場に。

朝だけで45キロ稼ぐ。帰りと合わせて55キロ乗れる。

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途中灰に降られたが、汗で流れた。

45キロ1時間39分 997キロカロリー